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2017.05.14 Sunday

■書評:「みかづき」 /森絵都 著 〜やはり「教育」とは「生きる、とは」ということを教えることだ(80点)

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    「教育」とはとどのつまり「生きる」こととはどういうことかを、教えることである。

     

    以前ぼくは、映画「チャッピー」に触れてこう書いた。

     

    ■映画批評「チャッピー」 〜「教育」とは、「生きる、とは」ということを教えることだ(88点)


    この意見は恐らく、根本的にそう間違ったものではないのだろう。
    しかしこれが人の親というものなのか、では果たしてぼく自身が本当に息子や娘達にそれを遂行しきれているかと問われると、途端に自信が心もとなくなってくる。
    と、同時に。
    一方で、そんなものは敢えて何かを意識的に話し伝え、意図的にどうかするといった類のものでも恐らくないのだろうなといった、ある種の開き直り、言い訳、諦念、よく言えば悟りにも似た実感を強く覚えるのも、また事実である。

    有り体に言うなら、オヤジの背中を見てりゃいい、ってやつだ。
    「家族」が同じ空間をともに生き、その中で「親」の生きる様相を眺めながら、それを見て「子」が生きようとする。
    どのように。
    どうやって。
    どこを。
    だれと。
    なんのために。
    どんな思いで、どういう意図で、どんな選択をし、そしてどうなるのか、それを自身はどう思うのか…
    そうしたものの幾度にも、幾度にもわたる積み重ねこそが、「生きる」とはどういうことかを教える、伝達する、ということにつながっていくのだろう。
    今のところぼくが我が子らを、なかんずく思春期に突入しながら大人になりかかろうとしている息子を見ながら思うのは、せいぜいそのくらいのことでしかない。


    少々前置きが過ぎたか。
    そんなことをふと改めて考えさせられたのは、この本を読み終わったばかりだからである。
    本作は、「教育」、「塾」に関わり生きる、ある家族の物語だ。

     

     

    20170514 01

     

     

    (あらすじ引用ここから)
    昭和36年。小学校用務員の大島吾郎は、勉強を教えていた児童の母親、赤坂千明に誘われ、ともに学習塾を立ち上げる。
    女手ひとつで娘を育てる千明と結婚し、家族になった吾郎。
    ベビーブームと経済成長を背景に、塾も順調に成長してゆくが、予期せぬ波瀾がふたりを襲い――。山あり谷あり涙あり。
    昭和〜平成の塾業界を舞台に、三世代にわたって奮闘を続ける家族の感動巨編!
    (あらすじ引用ここまで)

     

     

    戦後から現代までの学校教育や塾の業界の移ろい、そこでの問題、実態などを、代々教育に関わる親子三代の生き様とドラマを通じて、知る。
    例えば、塾への世間の見方、詰め込み教育への疑念、ベビーブームで過剰にヒートアップする教育産業、エリート育成を主目的としたゆとり教育、格差社会の中でこぼれ落ちる子供達…。
    或いはこれらは一面的な見方なのかもしれないが、それでもこうした時代時代の主要な教育問題に深く触れるとともに、主に子をめぐる戦後日本社会の時代的変化をかみ締めるといった社会性ある味わいも、本作の大きな醍醐味であるだろう。

    学校教育を表舞台の「太陽」になぞり、それに替わって夜を照らす「月」としての塾。

    その相互の時代要請の移り変わりと関係性への捉えようを読んでいくだけで、本作は十分な読み応えを備えている。

     

    加えて、人の視点が変わればドラマも変わる。
    これまで見えなかったものも、無論見えてくるようになる。
    その変化から教育問題への姿勢、時代背景をも映した塾のあり方、さらには家族の人間像や子への捉え方などもまた違って見えてくるのも実に一興だ。
    然るに、「家族」といえど、違う「人」である。
    そして「人」は、それぞれ異なる道を、異なる意思で、異なる価値観に則り、生きている。
    ともに歩んでいるように見えて、しかし「人」は所詮自身の生きる道しか生きられない。それは「夫婦」や「家族」、「親子」もまた同様の事実だ。
    だから家族とはいえ、彼ら各々の目線となると、それは自ずと違った生き方を、「生」のドラマを描くことにならざるをえない。
    そう、本作が秀逸なのは、ここである。
    結果。
    「家族」は、いつまでも同じ道を進めるわけではない。

    夫婦の離別、或いは価値観のズレ、或いは子の独り立ち、或いは死去、或いは関係性のこじれ、確執、等々…。

    だが、当然それらの帰結が必ずしも悲劇に至るとは限るまい。
    何故なら違った道の選択こそが、彼らの「生」を輝かせることにもなり得るからだ。
    そしてそんな離れ生きる姿こそが、「子」に「生きること」を伝えるすべにもなり得るからだ。
    さてここで、先日「罪の声」評に書いた事柄が、再び浮上してくる。
    いわく、「家族」とは強固な別々の「道」同士の交わりである、と。
    「子」がそんな「親」の姿を、生き方を、つまりは「道」を見て、そして何を学び、どう巣立ち、離れ、己が道を交差点から離れて「生きる」のか。
    彼らだけの生き方を、自らの解として、自らの「生」としてどう向かい合い、自らのものとするのか。つまりは、自らはどう生きるのか。
    これこそが、本作のドラマチズムを生き生きと脈動させている、最大のポイントに他ならない。

     

     

    20170514 02

    拾いもの相関図)

     

     

    (ネタバレ注意)
    かくして孫の一郎は、ようやく「自分の頭で考える」ことの意味にいたる。

    彼の解とは、以下の通りである。
    「教育は、子供をコントロールするためにあるんじゃない。
    不条理に抗う力、たやすくコントロールされないための力を授けるためにあるんだ」
    そう、

    自らの「生」の道を選ぶことが出来るよう導き、「生きる」とはどういうことかを教えること。
    「教育」の要訣とはやはり、そこにあるのだろう。
     

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